2016.6.29

ようやく立ち止まった。どうしようもない退屈からの退避手段としての読書や、作曲がある。これらは心に良いものしか受け付けない。しっかりとした現実的な感触がある。心の感触が。差し出されたものを手に取るだけでは我慢できなくなって初めて動き出す感情。

ベッドに寝そべって考えていた。誰々の頭の悪さ、感情を爆発させることでしか感情を消化することのできない人たちのことを。思い返してみて、その時のイライラが思い出されるのを感じた時、これは自分がまだ受け止めきれていなかった、目を背けていたものだったんだと理解した。こちらの言葉が届かないと悟って、相手が自分勝手に、主人公になる為に怒り始めた時。そのナルシズムにうんざりした時のことを思い返して、そういうことや、そういう人はいるという事実を受け入れなければ、その人の特殊性を受け入れることになり、その人の思惑通りになってしまう。ただありのままを受け止めて、並べてみればどんな怒りも、悲しみも、同じようなもののように見える。

頭の回転がどうとかではなく、馬鹿とはナルシストのこと。ナルシストは救われない。自分を誤魔化すことに必死で、何一つ学ばないから。

 

あの悲しみも、あの恥ずかしさも、あの虚しさも、一つ一つ掘り返して、受け止めなければ、先へは進めない。見て見ぬ振りをして進むことはできるけど、高度は下がり続けている。だから泳ぎを覚えることは大人になることではない。元々いた場所へと帰らなくては。もう戻れないのだとしても、泳ぎを覚えるのは後回しだ。

Ken Matsuda2016.6.29