2016.4.25

朝は歯医者に行った。麻酔で鼻まで痺れている。そのままらくだ書店に行き、雑誌と、須賀敦子のイタリアの詩人達を立ち読みする。ウンガレッティという詩人に関して読んで、以前読んでいた彼の詩が、一層わかった気がした。それはそのまま自分のことなのだ。

ウンガレッティは、戦争中に詩を書いて、そこから普通の生活に戻り、もう戻らない戦争や若さという特別な瞬間と、すり抜けて行くような日常との落差に苦しんだのだった。戦争さえ、それを小さな世界の青春という戦争に置き換えれば、そのまま僕になる。ウンガレッティの、家までの帰り道、並木の道を通る時だけが、目覚めている時だという詩を、場所を移し変えればそのまま僕だ。それはそのまま誰かだろう。現に特別な何かの真っ最中でない人にとっては。

何か詩を書こうと思ったが、スマートフォンを手にとって、メールを見たり、サイトを見たりして、そしてその感じは溶けてしまった。普段の、この生活の何か。このハードルを越える想いが欲しい、決意、理由が欲しい。特に必要もなく、詩を書きたいとは思わない、それは必要な時に、必要な分だけにしたい。それはいつなのか、それは、いつでも、いつでも自分に問いかけた時、その時が詩の必要な時だ。

スタジオに行き、1時間だけドラムの練習をした。「どうしようもなくて」と、「夜の向こうへ」、「荒れ狂う馬のように」のドラムが叩けないから、それをできるようにならなくちゃいけない。初めのはその複雑さから、残りの2つはその速さから、まだできるようになっていない。

汗をかいてしまった。途中カネスエで買い物をして、帰ってから料理を作って食べた。誰が聴いてくれているのだろうかと想像しながらsoundcloudをチェックしてばかりいた。誰かの心に響いただろうか。誰かの並木道になったらいいのに。

Ken Matsuda2016.4.25