2016.12.28

暗闇に横たわって、考えて、自分がわからなくなった。必死でつまらないものを支えようとしている。何て愚かな自意識。自負心。何てちっぽけな情景。

自分を赦すためには、間違いを認めなくてはならない。自分を大きく見せたい相手は自分。

自由は目の前に転がっていたのに、そこに行くには自分が大きくなり過ぎていた。

ちっぽけな自分。自由への入り口は小さかった。

感情に正しいも間違いもない。それに拘泥することが間違い。事実はつまらなく、味気ない。日常には何もない。一歩踏み出すとそこは地獄だ。地獄。

非日常に非日常を求める人は。泳げずに溺れている人。それに気づいていないけど、苦しい、だけが実感としてある。

日常に非日常を求める人は、泳ぐ人。どれだけ疲れても、どこにも辿り着かないけど。

自分のことがわからなくなったことにしたい。そうして問題を先送りにしたい自分がいる。

わかっている。痛みと光り。目の前には自由と孤独がある。ここには何か用でもあったかのように、振舞うことはもうやめよう。

何の用もない。ここには。どこにも。特に理由はない。思い込むな。まるで必要なことだと、思い込みたいみたいだから。それは見苦しくて、見ていられない。

とても明るい。悲しみはない。喜びは要らない。それ以外のものがあるだろうから。それが何かはわからないけど。

喜びは小さい。

悲しみは薬みたいだ。

ノスタルジーは箱だ。

鍵が明日で、取っ手は今日。夜はラジオで、昼は窓。人の瞳は時間で、肌は地下だ。

ひっそりと沈んでいく時間を受け止めてくれるのは、地面でなく空だ。

悲しみには名前があるが、喜びにはない。

悲しみには顔があるが、喜びにはない。

喜びを目指すという行為に、喜びはない。

何より喜びはお前じゃない。

Ken Matsuda2016.12.28