2016.11.27

義弟のバレエの本公演を観に行った。すごい人がいたが、発表会のような人もいて、一番すごい人よりも、一番すごくない人がこのバレエ団の実力なんだろう思った。今の自分に当てはめると、恥ずかしくなってくる。

帰りに久々に母親と話をしたが、言葉は相手を喜ばせるユーモアでなければ、言うだけ関係や相手を損ね、方や心の篭った、できるだけしっかりとした言葉を使うようにすれば、これまでこんなに傷つくことも、混乱することもなかっただろうと思った。とは言っても大したことは何もなかったが、その瞬間はそれが大事だと思っていたから、考えてみれば自分で自分の傷口を曝け出していたようなものだった。

家に帰る途中、自分が相手に怒る時は、自分が馬鹿にされた時だと考えていた。

これまで、自分は大抵のことには寛容で、ある一線を越えるといきなり爆発するタイプだと、つまり優しいが神経質なタイプだと思っていて、そのことに疑問を思っていなかった。しかしよく考えてみると、自分が腹が立つ時は相手に馬鹿にされた時だし、しかもただ馬鹿にされた時ではなく、自分が対等かそれより下に見ていた相手から馬鹿にされた時だということに気づいた。しかも例え馬鹿にされたとしても、相手を自分が軽蔑しているか、全く興味がない人からは馬鹿にされても何とも思ってなかった。つまり自分は優しいのではなく、自分を立てて、敬って接している人や、全く軽蔑している人や、興味のない人からは何を言われても怒らないというだけで、ただ他の人より自尊心が高いというだけだった。自尊心が高いから本音で話さず、相手と向き合わず、馬鹿にされると怒り出す。よっぽど困った人間だということに気づいた。

優しさの中身は、自分を尊重しているから、余裕をもって相手も尊重できるということだろう。それ以外の優しさはわからない。自分のように相手を扱っているだけで、怒るというのは、つまり自分が相手を見下しているし、相手も自分を見下しているということだろう。

尊敬は失望へ変わる。では怒りに変わるのは?

軽蔑?甘え?約束を破られることか?約束というのは行動の全てが約束だ。尊重とは約束時の見返りの期待値の公平さ、公正さことか。その期待値が公平ではなく高いことが甘えか。その期待値に達しない時に怒りが湧くわけだ。

Ken Matsuda2016.11.27