2015.5.30

職場の朝、相勤者と「ブライズヘッドふたたび」の話をしていたら、思い出した。閃いた。

とても素晴らしい着想。人生の楽しみ方。輝き方。「楽しい」をおろそかにし過ぎた結果のマンネリだった。「楽しい」は面白いに行く手前のものとしてみていなかったから、面白いを探しても見つからなかったというわけだ。どういうライブが良いライブか、という一般論や、世間的な価値観について考える弊害。「すべき」という拘束。あくまで自分にとって、この自分を抜いて考えては面白さは出ないだろう。(自分は)どういうライブをしたいか、という問いに対して、もっとわかりやすくイメージする為に、「どういう状況(コンディション)でライブをしたら、楽しい(面白い)だろうか」という問いを設定してみると、視界が晴れてきて、気持ちもワクワクしてきた。ここで大事なのは、できるだけ自分で用意できることに拘るということ。人や周りの環境に求めるのは、とても難しく、コストがかかるけど、自分に対してはどれだけでも求められる。弦を張り替えた音の方が好きなら、絶対に変えるべき(自分主体のすべき)だし、衣装も、これを着た方が、一般に受けるから、ではなく、こういうのを着てライブをした方が良いと思える(もちろん音楽との関係の中で)ものを着ていくべきだと思う。

だから良い演奏をした方がライブで楽しめるのなら、良い演奏ができるようにしてくればいいし、しなければいけないということはなくなる。ここで良い演奏をするのが、面白いと思わないのであれば、それをする必要もないし、それが向き不向きということになってくるのだろうと思う。

だから例えば、路上で弾き語りをするのなら、一番、ここで弾きたいと思える、弾いていて楽しいと思える(ここを我慢とか、自信のなさでごまかしていたら何にもならない)ような場所(例えば日差しが気持ちいいとか、風が気持ちいいとか、天気や時間帯も「感じて」)でやるべきだし、そこに意識を向けて、とことん拘れる人だけが特別という気がする。

バンドであれば、バンドとしてどうしたいか。そのライブハウスであれば、そのライブハウスでどうしたいか、それぞれの状況に合わせて、拘るべきだと思う。それを愛情という風にもいうのじゃないだろうか。

基本的なことかもしれないけど、自分はすぐこうするべきという風に考えてしまいがちなので、この気持ちを大事にしたい。

朝、Sekai no owariがテレビでやっていた、学校の曲は学校で録るというように、手間をかけないもの、この場合かけれないものは、気持ちがこもっていると言えるだろうか。だから練習を楽しんで、ライブで楽しめるぐらいのクオリティになりたいと思う。そうして伝えたいことが。表現したいことがあるから。

Ken Matsuda2015.5.30