2015.12.28

帰ってからmixをして、少しだけ寝た後にスタジオに行く。留吉くんと合わせる。というより探ってみる。用意が足りなかったが、わかったこともあった。

目の前にパソコンを置いてキーボードを叩く。音を確認し、調整し、配置する。誰かの、どこかの音に耳を傾ける。自分の心の内側にも、小さな声で囁かれる囁きほど聞き逃さないようにする。留吉くんとスタジオに入って、久しぶりに自分と違う世界観をもった人と音を出したという感触があった。留吉くんの目線で勝手に世界を見てみた。成る程、それは僕とは違う。その目線で僕の世界を見てみた。何だか素通りしてしまいそうな風景が広がっている。スタジオで3時間は長かったようで、短かったような気もした。僕の準備ができていなかった為に、それはつまり二人の準備ということになるけれども、中途半端なことをしてしまい、それで使わなくても良い頭を使って疲れた。何かを用意していくというのは、これまでもずっとそうだし、これからもそうだ。その時の為に用意をしておく。その為に普段の生活が成り立っている。

スタジオの後久しぶりに外食をした。留吉くんと色々話したが、大学の生活を聞くと、いつも羨ましくも、それによって損なわれる部分もあるななんて、自分の持っているものを確認しないではいられない。人と人が違っているのは当たり前。僕が言いたいのは、人が自分を肯定する時、或いは他人を評価する時、そこに自己防衛が入り込まないことなんてあるのだろうかということ。

友達が多ければもっと早くからバンドがやれただろうか。でも友達はいらない。人と上手く付き合える有り難みがわかるから。自分が人と違うということを、強みとしてやっていこうとするから。だからそんなことを思う。

軽口の中で、人に必要なのは食べることと、睡眠と、考えることだと話をしたのだけれど、ほとんどの人が睡眠と考えることは足りていなくて、圧倒的に食べることが過剰になっているんじゃないかなと話した。考えるのと、感じることは、それができるのは本当に豊かな証拠だと思う。それがないのは、悲しい。動物か機械か。夢を見ているのか起きているのか。実は夢を見ているわけでも、起きているわけでもないのじゃないか。夢のない夢。目覚めることのない目覚め。それが普通で、それは悲劇でもなんでもない。そう感じるかもしれないけれど。

Ken Matsuda2015.12.28